自分がどう見えているか自分では判断するのは難しい

この頃、そういうものをよく目にします。

ラーメン屋で働き初めて間もない青年が、ラーメン屋の社長から

さん
ラーメン屋の社長

お前、態度が偉そうだよ。

お前は良いと思ってやってるのかもしんないけど、お前を判断するのはお客様だからな。

と指摘をされていました。

でも、多分その青年は、自分の何が悪かったのか、多分わかるまで当分かかると思います。

なぜかというと、社長の視点で自分という見習いがどう映っているかを見る事ができていないからです。

 

僕も高校3年生の大学受験の時、5月くらいまでは、色んな先生方に

さん
先生

まだ必死さが見えんな

と言われた事がありました。

ですが、8月の夏休み中、高校の職員室で勉強をしていました。

夏休み中なので、部活の顧問の先生しか来ておらず、先生は部活を見に行っているため、職員室には誰もいませんでした。

勉強していて、ちょっと疲れたので机の近くにあった漫画を読んで休憩していました。

その時、部活に行っていた先生が職員室に戻って来る足音が聞こえました。

僕は慌てて、読んでいた漫画をもとに戻し、勉強を再開しました。

その先生は僕を見るなり

さん
先生

やっと目に覇気が宿ってきたな

と言いました。

僕としては、さっきまで漫画を読んで休憩していたし、5月の頃とそんなに感覚的に変わった感じはしなかったのですが、先生の視点では僕という人物の姿はすごく必死に勉強しているような雰囲気が滲み出ていたようでした。

 

今回、なぜこんな話を書いたのか?というと、自分の状態というものは、意外と自分では判断が難しいという事です。

そして、判断してもらうべき人を間違えないという事がとても大事なんですね。

ラーメン屋さんの見習いで働いているのであれば、一番仕事ができる社長の視点で判断してもらう事が大切です。

自分が受験生なのであれば、合格するために一番自分の事を考えて道筋を立ててくれている先生の視点で判断してもらう事が大切です。

 

もしスピリチュアルの技術を磨くのであれば、技術を教えてくれる人の視点で自分を判断する事が大事です。

スピリチュアルは、繋がる次元によって、感覚や感性が異なります。

その感覚があっているか、その感性があっているか、ズレていないか、それらを自分で判断する事は非常に難しいものです。

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