スピリチュアル的に見る人の本質、普遍的に変わらない部分とは

とある日のリーディング練習会で、受講生に天界から自分自身に対してのメッセージを降ろし、リーディングしてもらっていました。

さん
受講生

「目の前の人の本質を見極める事が大事」という感じがします。

というリーディング内容でした。

その時、ふと「きっと一人ひとりに変わらない本質のようなものがあるはず」という幻想がスピリチュアル界隈に蔓延している事を思い出しました。

「調和」という言葉と同じく、昔から僕があまり好きではなかった言葉が「本質」です。

なぜそれらの言葉が好きではなかったのか?というと、「調和」も「本質」も、言葉の意味をよくわかっていない人がその言葉を使っている事に違和感があったのかもしれません。

調和と不調和は、日常生活の中でも当たり前に起きている。
僕は、スピリチュアル界隈で言われている 「調和しましょう」 「調和してください」 「調和する事が大切です」という言葉があまり好きではありませんでした。ですが最近、目的を果たすためには、調和する事が非常に大事だという事を感じています。それは、...

そこで、その受講生が、人の本質をどんなふうに理解しているのか訪ねてみました。

塾長
塾長

本質を見極める事が大事だという事は、すごく納得なのですが、本質って例えばどんなものだと理解していますか?

 

さん
さん

本質…??

う~ん、よくわかりません^^;

 

 

塾長
塾長

ですよね。

なんか、スピリチュアル界隈で「本質」という言葉が一人歩きしているような感じがするんですよね。

例えば、目の前にいる人が人の悪口を言ったり、不機嫌に周りに当たり散らかしていたとしても「この人の本質はきっと優しい部分があって…」といったような、「今は変わってしまったけど、この人にはきっと変わらない部分があるはず」という幻想の本質を作り上げているような使い方をする人が多いように感じています。

 

あくまで、優しい部分は、その人が心の中の光が大きくなっている時の行動の一面に過ぎません。

もちろん、不機嫌に当たり散らかしてしまう部分も、その人の心の中に闇が増幅してしまっている時の行動の一面に過ぎません。

誰かにとって都合の良いその人の一面が「本質」というふうに捉えられているように感じます。

つまり、スピリチュアル界隈で言われている「本質」は、幻想なんですね。

 

では、本質とは何か?

普遍的に変わらない部分とはどの部分なのか?

それは「諸行無常」の部分です。

つまり、唯一変わらない事があるとすれば、それは変わる事。

人は変わる事こそが、唯一変わらない事であり、それが人の本質なんですね。

 

そして、本質を見極めるという事は、幻想の本質に目を向けず、人の心の状態や、メンタルや体調の変化など、その時その時でしっかり見極める事なんですね。

これは、子供を産んだ母親は、赤ちゃんに対して当たり前にやっている事ですよね。

赤ちゃんが泣いているという、状況の中にも、

  • お腹が減っているのか
  • おむつが不快感なのか
  • 眠くて泣いているのか(赤ちゃんは眠ると死ぬかもしれないと思い危機を察知して泣くそうです)
  • それとも、別の死を感じさせる何かの不快感に対して泣いているのか

色んな泣きがあるようです。

そのちょっとの変化、ちょっとの違和感をしっかり見極めて、子供が危うい状況に陥らないように対処していく事を、母親はやっているんですね。

もしも、スピリチュアル界隈の幻想のような「この子の本質はきっとたくましいはず」という考えだと、赤ちゃんは、いとも簡単に危うい状況になってしまうかもしれません。

上記は赤ちゃんに対してですが、大人に対しても、眼の前にいる人の言動を見て、心や意識を読み解いたり、自分の言動によって調和(噛み合うようにしたり)や不調和(噛み合わないようにしたり)を調整している人もいるはずです。

これも、変化を見逃さず、変化に合わせてタイミングを計る事で可能になる事だと思います。

 

スピリチュアル界隈で言われている「本質」という言葉はは、人に対して幻想を抱かせるので、注意が必要です。

ただ、過去世のデータや親のデータによっては、得意な事、向いている事は持って生まれたものはあると思います。

ですが、それは変化してきた中で身についたものであって、本質の部分ではありません。

人の本質が「変わる事」であるのならば、ずっと変化や進化をしてきた事で得た得意な事や、向いている事だとも言えます。

人は、普遍的に良くも悪くも変わるからこそ、心の中の光によって変化をし続けられる可能性も大いにあるのだと思います。

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