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天界の存在たちの視点に立ってみると、人間というものはどういう存在なのか

そこが見えてくると、天界の感覚と少しずつ調和できるようになってきます。

天界と調和していくと、人というものに大きな可能性を見いだす事ができます。

たった一人の人生の可能性の中に、とことんまで闇に落ちて地獄のような人生を送る可能性もあれば、心の中の光がすごく大きくなり、光の実現化でどんどん奇跡を起こせる人生になる可能性もあります。

すべては本人が今この瞬間、どの心の状態を大切にし、どういう意思を持ち、どういう言動を選ぶのか。

僕の人生も、心や言動の選択を大きく間違えていたら、すごく不自由で、借金まみれの人生だったかもしれません。

ですが、今ここにいる自分は「天界の意思=自分の意思」という選択を選び続けて、なんとかこの人生を歩んでいます。

それが見えてくると、「自分というものは、あって無いようなものだ」という事を感じるようになってきます。

 

自分が選んだ決断が、闇落ちする人生になる可能性もあり、天界と調和しながら生きる人生にもなる。

どちらも、すべて自分が選んだ人生のはずなのですが、大きく違う人生になります。

自分はあって無いようなもの。

ただ、どの自分になる事を選ぶのか?という自由意思を与えられていて、それ次第で自分というものの行く末が定まっていくんですね。

 

ですが、僕は他人になった事がないので、「もしかしたら、みんなにはきちんと自分というものがあって、自分はあって無いようなものという状態は。僕だけに当てはまる事なのかもしれない」という事も考えたりもします。

天界にとって、私たち魂の入れ物が持つ癖というのは、本当に千差万別だと思います。

ですが、天界は「天界の意思=自分の意思」の感覚を持つ魂の入れ物がもっともっとたくさん出来上がるといいな~とも思っていると思います。

可能性は無限大。

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